壁上土 22 辛丑

壁上土(へきじょうど)とは城壁の土の意味。門や土壁を造る為に人為的に固められた強度の高い土の事。 国や町の周囲を取り囲む城壁の意で、内(自)と外(他)を分ける境界線の役割と外敵の進入を妨げる防御壁の役割を持つ土の意。また上とは領主の意で囲いの中の主の意味。城壁を囲った砦(とりで)の主の意味から、一般的に壁上土とは“城壁の如く防御本能の発達した人”の意。

しかし本当の意味は少し異なる。そもそも壁上土とは路傍土(道端にある自然の土)と対冲する言葉であり、もともと存在したのは路傍土であって、最初から城壁が存在する訳もない。片方は境界線の無い自然の土だが、片方は領土を囲う人の為の土である。その昔生命が細胞膜を完成させて内環境 (自己)を生み出し、外環境(外部)から独立した自己(細胞)を創造して来た様に、生命の第一歩は他から自を分ける事から始まる。つまりおのれの領土を明確にする事によって、一つの国や町が誕生して来る訳である。

そのような意味から言えば、壁上土の生命とは外環境から独立した我を明確に打ち出す人間であり、外部の影響を受けずに自主独立の道を歩む生命と言える。その人生観の基本は“人は人、我は我”である。だが発展途上の若い生命は、とかく領土の保全と内部管理に忙しく、向上心はあるものの、自己の是正にあくせくした境涯であって、我の事で精一杯の状態で他人の事を構っている余裕はない。従って壁上土の生命とは“城壁の如き固い殻の中で一人汲々としている人”の意味。

辛丑の生命因縁は巳で、一方庚子の生命因縁は辰である。両者ともバリバリの若き熱血の獅子であり感性の鋭く発達した多感な生命として現れるが、我を取り囲む城壁の殻の為に感情の発散が下手クソで鬱憤を限界まで溜め込んでは、時おり癇癪爆弾を破裂させる性癖を持つ。もし癇癪を破裂させなければ、そのストレスは全部胃に行ってしまうだろう。それなら最初から城壁の門を開いて圧力抜きをすれば良いのであって、無理に城門に施錠をして我を頑なに閉ざす必要はない。早い話が、お利口ちゃんを気取らず素直に我意を出して周囲に迷惑を掛けてやれば良いのである。

“鶏口となるも牛後となるなかれ(為鶏口無為牛後)”主義を地で行く生命だが、小さい領土で汲々としている位なら、領土を開放して精神を解放し、自然の成り行きに身を任せて楽に生きる方法もある事を知った方が良いだろう。野球監督の星野仙一(辛丑)や原辰徳(庚子)は、領土の保全に汲々として胃痛に耐えているよりも、少し投げやりになるくらいに泰然と構えた方が良いかも知れない。

壁上土と対冲する納音は路傍土(辛未・庚午)。片方は城壁の土だが、片方は道端の土である。柵も囲いも無い路傍の土は見栄も体裁も無い自然のそのままの土である。肩を張って窮屈に生きるのか、それとも無為自然のままに生きるのか、両者の違いは大きい。

22.壁上土(陰) 辛丑 空亡:巳 壮年丑(熱血牛) 傷官丑 20% 偏財丑 80% 短気な硬骨漢の牛

この生命は丑の壮年期に当たる生命で、丑の仲間では二番目に若い生命体であり、甘ったれの赤ちゃん丑である癸丑を大人にして熱血漢にした様な生命である。この生命は壁上土(城壁の土)の生命であり、その意味は我城を囲って守備に徹する生命の意である。負けん気の強い堅物の熱血漢で、よく感情を溜め込んでは爆発させる事から「爆弾牛」又は「熱血牛」 と呼ばれる。多彩な情感に溢れた生命であるが、基本的には律儀者の硬骨漢で他人にも厳しいが自分にも厳しい性分。決して自分を甘やかす事のない精進人間であり信念・信条の固き生命である。踏まれる麦の如き不屈の根性、大いなる勇気と覚悟、誰の意見も聞き入れない頑固な閉塞性などを有する所から、壁上土の生命の代表格とされる。独立独歩で己を信じて自己流を貫き通すという性癖は、ある意味では重要な事だが少々危険である。一徹頑固なのも結構だが、その盲目的な信念の殻を破って、周囲の状況に順応対処して行く柔軟な処世術を身に付けたいものである。自己鍛錬は美徳だが短気は損であり、また感情の発露は穏やかにした方が良いだろう。