霹靂火 34 己丑

霹靂火(へきれきか)とは稲妻(雷)の火の意。天を揺るがす一瞬の閃光と雷鳴、一瞬の威光や威力、一瞬の間合い、瞬間的な切れ味を意味する。霹靂車とは城壁を崩す為に使用される投石機の事。また霹靂手とは一瞬の間合判断する機手(達人)の事。その様な意味から、一般的に霹靂火とは “天地を揺るがす様な一瞬の威光を放つ人”換言すれば“一瞬の技や間合いに優れた人”の意味。

確かに、この生命の人は普段は大した事がないのに、いざと言う時には一瞬の優れた力を発揮する人間が多い。例えば野球界なら元木大介選手、サッカー界なら稲本潤一選手や鈴木隆行選手、あるいはアルプス清掃登山家の野口健氏など、ここぞという時に一発の底力を見せる人間が多い。

しかし、この生命はとんでもない夢想家の怠け者であって、普段は夢を見ながら気を抜いて遊んでいる。興味の対象がコロコロと変化する典型的な移り気性分で、絵に描いた様な飽き性分の人間である。本来この生命は官星(正官星や偏官星)の生命であり、負けず嫌いの利かん坊の筈だが、金銭と愛情以外の物には執着が薄く持続性が無いのが特徴である。本人もそれを一番気に掛けており、我を鼓舞して是正に努めるものの、天賦の超過敏な神経が長く緊張を保持する事を許さない。

結局、一発集中型のタイプに成らざるを得なく、普段は神経を開放してリラックスせざるを得ないのである。特にこの生命の者は外出したり人間と接するだけで高い緊張状態を余儀なくされる為に、家庭や家族の中では気を使いたくないと言うのが本音であって、家庭内や気心の知れた仲間内では全くの不精者に豹変してしまう。単なる神経過敏症の体裁家(恰好付け) じゃないか”という噂もあるが、常識では考えられない程の鋭い感性と敏感な神経の持ち主である事に間違いはない。

この様に分析して行くと、霹靂火の生命は“一瞬の切れ味は示すが長続きしない人”と表現した方が正解であり、 とかくどこかに長所を持つ者はどこかに欠点を持つのが人間と言えよう。

霹靂火に対冲する納音は天上火(己未・戊午)。霹靂火の生命の神経が細かいのに対して、天上火の生命は神経が太い。前者が気使いして卒なく振る舞うのに対して、後者は身勝手なワンマンで人の気持ちなどお構いなしのマイペース人間である。前者は人の言動に超過敏に反応して振り回される小物人間のくせに、知らんぷり主義を取れない損な性分であるが、一方後者は人の言動には振り回されない大物人間のくせに小心翼々としたケチな性分を持っている。

結論を言えば、小だが大きいのが霹靂火で、大だが小さいのが天上火であり、瞬間人間のくたびれ屋と、せこいが持続家の達成人、好対照な違いはあるもののどちらも不完全人間と言えよう。

34.霹靂火(陰) 己丑 空亡:未 初老丑(老人牛) 正官丑 20% 偏官丑 80% 物静かな潔癖性分の牛

この生命は丑の初老期に当たる生命で、丑の仲間では三番目に若い中堅の生命体であって、情熱的な辛丑とは異なり温厚で老練な生命である。この生命は霹靂火(雷の一瞬の閃光)の生命であり、その意味は霹靂手(一瞬の間合いを計る騎手)の如き人の意である。熱血漢の辛丑を老人にした様な生命で、情熱が失われた分知恵と要領で勝負するタイプであり、地味で老練な事から「老人牛」と呼ばれる。老人と言っても大変な負けず嫌いの勝気な性分で、いざとなれば殴り合いの喧嘩も辞さない利かん坊だが、自己是正の出来る官星型の人間であり、短気や短慮を戒(いまし)め慎んでいる賢明な生命である。周囲の状況を読み取る感度の高いアンテナの様な生命で、なかなか利発な切れ者であるが情熱や欲心が薄く、いまいちハングリーに成り切れず積極的で無いのが欠点で、霹靂火の如く一瞬の威光やその場限りの瞬間能力を呈示するものの、長続きしないのが本人の悩み種である。 情性に流される事を嫌って自己を鼓舞する生命だが、気を抜いて油断する所が玉に瑕で、継続性に弱い所が口惜しい生命である。